この街のMODS MAYDAYとロンドンMODSシーン
Text by 黒田マナブ“Manabu K.Dove”
東京の80年代、この街のMODSシーンについて思い出すことを今までも何度か書いて来たが 、彼についてはあまり書いた事がなかった気がする。ごく身近な人とは彼の話をする事はある、しかし、80年代に彼がやって来た事と90年代にこの街でも人気のあったJAZZレーベルで彼が大きく評価された事を結びつけて話が出来るのは山下洋としんぺい(男子)くらいか、、 90年代の彼のオフィスに飾られていたSmall Facesのポスターの話とかね。
彼の名前を初めて見たのは1983年ころLONDONで買って来てもらったMODZINE EXTRAORDINARY SENSATIONS のクレジットだった。表紙にPaul Weller のイラストが載っているそのMODZINE には 、、、CONTRIBUTIONS EDITOR / WRITER ETC. : EDDIE PILLERと記されていた。
内容は、当時、僕にとっては憧れのMODリバイバルバンド "THE COSTARS ”や"SMALL WORLD ”のLIVEレビュー、 "FAST EDDIE ", "THE JAM ”, "MADNESS" のシングルレビュー。トップ記事はその頃の東京でもちょっとニュースになっていた、元”9 BELOW ZERO” のシンガーDenniのニューバンド・THE TRUTHのインタビューだった。
まだ、僕の中でのEdはLONDONでいくつか発行されているMODZINEの編集長でしかなかった。
当時のEDDIEのフェイバリットがうかがえる
EXTRAORDINARY SENSATIONSのPLAYLIST
01 Get Yourself Together/The Jam
02 Afterglow/Small World
03 Don't Burst My Babble/Small Faces
04 Investigate/Major Lance
05 Won’t Get Fooled Again/Skrewdriver
06 Falling For You/L.T.S.
07 Sweet Sensations/Fast Eddie
08 Band Of Gold/Merton Parkas
09 I Wanna Take You Home/Edwin Starr
10 I Got You/The Jam
僕は、1982年"MARCH OF THE MODS"をスタート。
同じ頃、主催の突然のアクシデントにより開催が危ぶまれていたMODS MAYDAY 83をなんとか開催させたいという思いから、 MODS MAYDAYのオーガナイザーとしてのキャリアをスタートさせた。
そして、そのMODS MAYDAYに併せて創刊を準備していた、この街で2つ目になるMODZINE”HERE TODAY"のスタートに関わり、その後Editorを務めることになる。(この街初のMODZINEに関しては別の機会に話せたらと思う)
次に彼の名前を見つけたのはHERE TODAYの2nd ISSUEに掲載した、 SHINPEI(YUMI)が1983年6月に行ったロンドンでの FAST EDDIEのインタビュー記事だった。その中でFAST EDDIEのマネージャーでEXTRAORDINARY SENSATIONSの編集長としてEdの名前は登場するが、実は彼女もその時にはEDDIEに会えていない(笑)
そして、 僕は1984年1月にRADIATE RECORDSの1stEPをリリース。そのEPとHERE TODAYを持って、 2月にLONDON初上陸を果たす。
その頃のロンドンMODSシーンは、MODリバイバルバンドが毎日のようにGigを行なっていたが、レコードショップでは流行りに敏感なMODたちがノーザンソウルの7inchをDigっていた。ちょうどKENTのノーザンソウルコンピシリーズが盛んにリリースされていた時期で、僕もここでノーザンソウルの洗礼を受けることになる。そのLONDON滞在中にLONDON MODたちの話を聞きたいと思い、いろいろなMODリバイバルバンドのGigで見つけたMODたちに、英語で作ったアンケートに答えてもらった。(そのアンケートは1985年に発行されるHERE TODAY 3rd ISSUEに掲載されている)
後日、その回答の中に、EDDIE PILLERの名前を見つけた。その時に彼に会っているはずなのだが、全く覚えがなく、、、
東京で再び彼の名前を見つけたのは、輸入レコードショップで手に入れたコンピレーションアルバム”THE BEAT GENERATION & THE ANGRY YOUNG MEN/WELL SUSPECT(1984)”だった。WELL SUSPECTはFAST EDDIEとTHE MERTON PARKASの7inchを持っていたので、そのレーベル名は知っていたのだが、そのアルバムのクレジットを見てビックリした。そこにはSLEEVE NOTES - EDDIE PILLER & TERRY RAWLINGSとあったのだ。
僕はバンドを演りながらレーベルをスタート 。I SPYレコードのIan Page(SECRET AFFAIR)や、2TONEレコードのJerry Dammers(THE SPECIALS)ら先輩たちに憧れ、自分でも何かを始めようと"RADIATE RECORDS"をスタートしたのだが、EdがMODZINEのEditorを務め、レーベルに関わっていることを知って彼にシンパシーを感じた。
Paul WellerやIan Pageに持ったリスペクトとは少し違った同世代の仲間的感覚を強く抱いた。実際 、僕とEDDIEは1963年生まれなのだ(笑)
1985年、Edから新しいコンピレーションアルバムが届いた。このレコードは僕を夢中にさせた。やはり今まで彼に感じていた、僕のこの感じは間違いなかったし、この東京もLONDONと何も変わらない時間が流れているのだと実感した。
The Countdown Compilation 54321GO / Countdown(1985)
1984年頃、僕はオルガンサウンドがすごく好きで、THE PRISONERSもそんなバンドの一つだった。
そのTHE PRISONERS解散時、「カルテットを組んで見ないか?」 EdからオルガンのJamesへのアドバイスもあり、”The James Taylor Quartet”がスタートしたと聞いた。
1987年1stアルバムをEdのレーベル・Re-Elect The Presidentからリリース 、EdがACID JAZZ RECORDSをGilles Petersonとスタートする時期と重なる。
DANCE-APPROVED STREETS / RADIATE RECORDS(1987)
The James Taylor Quartet The Money Spyder / Re Elect The President(1987)
そして、僕は1992年「LOVIN CIRCLE」 をスタートし、東京MODSシーンの次のステージを目指した。
to be continued