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EDDIE PILLER

ブロードキャスター / レコードプロデューサー / DJ / ライター / クラブオーナー /  興行主

Eddieは60年半ば、ロンドンイーストエンドのMOD FAMILYの中で生まれる。
彼の母親はThe Small Facesのファンクラブを運営していたこともあり、彼の音楽のキャリアのきっかけとなる。

1980年、伝説のファンジン “ Extraordinary Sensations “ を手掛ける。それに伴い、レコードレーベルを立ち上げるもすぐにStiff Recordsの傘下に入るように説得される。
Stiff Recordsではレーベルマネージャー兼A&Rを務め、Stiff Recordが倒産の際にはマネージメント業とプロダクション運営へとシフト。そして若きJames Taylor Quartetのレコーディングを行う。

暫くしてJTQがロンドンのジャズシーンでの主流となり、EddieはGilles Petersonと組み一緒にAcid Jazzレーベルを立ち上げ、いわゆる「売れ線」に乗せることに成功する。

Acid Houseのブームが後押しとなり、Acid Jazzシーンは90年代を代表するムーブメントへと成長。

1989年、早くから成功したAcid JazzからGilles PetersonはTalking Loudの立ち上げを理由に離れることとなり、Eddieは新しい世代のミュージシャンを次々に見出すことに集中する。彼の手によって世に出たバンドやミュージシャンは、Jamiroquai,The Brand New Heavies,Corduroy,Mother Earth,A Man Called Adam,Terry Callier,Gregory Isaacなどに亘り、いずれも10年の間に正真正銘のヒットを数多く飛ばした。


1993年には、ナイトクラブ“The Blue Note“をオープンする。このクラブは当時ロンドンで最もイケてないと言われていた地域、Hoxton(注:ロンドンのハックニー地区で当時はカルチャーよりも空襲の爆撃跡の方がが有名)にあったにも関わらず、Time Out誌において「ミレニアムを代表するクラブ」に選ばれ、大成功をおさめる。その後GoldieやTalvin Singh達とのキャリアを始動する間に、イーストロンドンのShoreditch / Hoxton地域を今日のアートとカルチャーの中心地へと導いた。

90年代後半には、ラジオやTV方面へと活動の場を広げ、JAZZ FMの“ Newbeats Show “やBBC Radio London、BBC6 MusicやQ Radioなどにおいてホストを務めた。(Q Radioの番組では“British Radio Award“を受賞。)また、ITVにおいてユースカルチャー全8シリーズのスクリプトを制作し、Radio 4のドキュメンタリー、BBC人気番組“Pop On Trial“ や “Soul Britannia“に出演した。 ソウルミュージックをプレイすることに情熱を傾ける彼は、黒人由来そしてその影響下にある音楽でもって、グラストンベリーでのレギュラーDJをはじめワイト島や数多くの音楽フェスにて会場を沸している。その人気は国内にとどまらず、ヨーロッパ全土のナイトクラブでも高評価を得ている。 そんな彼の趣味は、クリケットと古代史、愛車ヴェスパでのランである。

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