MODS MAYDAY JAPAN 2019 Special Talk session 02
マナブ:じゃあSKAについて少し詳しく聞いてみよう。ロンドンではSKAってどの程度普及してたのかな?ピーター・バラカンさんいわく、60年代には普通に流れてたし、ジャマイカン・ミュージックというのが流行り始めた頃で、という話だけど……。
ナベ:SKAが流行り始めた頃っていうのが、ジャマイカがイギリス領から独立して、ジャマイカからの移民がロンドンにたくさん住み着いて。その人たち向けにSKAの7インチをイギリスで作っていて、それを聴いてたし、SKAの流れるクラブみたいなのも結構あって。だから向こうではジャマイカ移民が盛り上げてたというか、SKA人気はあったみたいだね。
マナブ:「さらば青春の光」のファーディもジャマイカ人なのかな。ピーター・バラカンさんも初めて会った黒人はジャマイカ人だったと言ってた。
ナベ:少し前だけど、「スキャンダル」っていう映画知らない?ソ連のスパイの。あれも途中でロンドンのSKAのクラブで踊るシーンがあるの。みんなポークパイハットかぶってスーツ着て。映画にもそういうシーンがあるぐらいだから、その頃はそういうクラブが多かったんじゃないかな。
マナブ:時代は過ぎて、またSKAのリバイバルがあって……
ナベ:イギリスも古い音楽を大事にする国じゃない。だからSKAとか、リズムアンドブルースもそうだろうけど、ずっと根付いてて。そんな感じで、SKAを聴いてるやつはずっと聴いてたんだろうと思うよ。オレがロンドンでPOTATO 5のライブを観に行ったときはGAZじゃない違うDJだったけど、やっぱりSKAとかロックステディかけるDJもいて、こういうDJって向こうには結構いるんだなって思ったね。
マル:当時のロンドンの話を聞いてみたいんですが、Rico Rodriguezが1961年にイギリスに渡ってGeorgie Fameと出会ってから、Georgie Fameがスカにグっと接近したっていう話をよく聞くんですが、Club Skaの皆さんからすると、どういうふうに捉えていますか?
ナベ:実はそのあたりって、Ricoの事を俺らが知らない、ちょうど抜けてる時期なんだよ。Rico は1961年にロンドンに行く前に、ジャマイカで結構ブギみたいなレコーディングをしてたんだけど、その後1965年までRicoは全くレコーディングに参加してないんだよね。Skin Headsの連中なんかと会って、Trojansから出てるような曲をRicoがレコーディングして・・・っていうのが出てくる間って、ちょうど抜けてるんだよね。その時期の話は、Ricoに会った時に聞いた事なくて詳細はわからないけど、本当のスカがいい時って、実はRicoは演ってないんだよね。
全員:ヘ~
マル:もしジャマイカに残ってたら、絶対スカタライツで一緒に演ってましたもんね。何でイギリス行って、Georgie Fameと一緒に演奏する事になったのかな?というところがわからなくて。Georgie FameがRicoに教わって、R&Bをスカのリズムでカバーする流れが出来た、という風にModsシーンではよく語られているんですけど、いまいち事実が見えて来なくて、Ricoとの関係性をもっと知りたいなっていつも思ってます。
ナベ:多分、Georgie Fameと一緒に演ってたのは、その間だと思うんだよね。スキンヘッズの連中と一緒にRicoがやってるのが1967年位だから。ちょうどロンドンに行ったばかりで、あんまり音楽をやってなかったのかもしれない。スキンヘッズ以降のRicoは分かるんだけど、その前がちょうど抜けてるんだよね。同じ頃にイギリスに来たLaurel Aitkenも、初期からスキンヘッズまでの間、抜けてたりするから、移民してすぐの頃は演ってないんじゃないかな。あんまりその頃の話はした事がないけど、基本的にRicoってロンドンにいる時はJazzを演ってて、むこうのジャズクラブとかでよくライブやったりして、レゲエシーンよりは、実はジャズをやってたんだよね。
マル:Ricoが好きだったのは黒いJazzとかR&Bだったので、Motownみたいなポップな楽曲が出てきた時、興味が無くなり、ルードなスキンヘッドが出てきてから、また演り出したのかなって。
マル:ジャマイカ移民が集まるWest Indian Clubというところに、オリジナルModsが集まって、そこでスカを聴いて広めたという話をよく聞くんですけど、当時のモッズにスカが広まっていった流れとか要因とかいかがですか?
ナベ:うんうん。そういうクラブは幾つかあったみたいだよね。
マル:そこでかかっていた曲や雰囲気はどうだったんでしょう?
ナベ:そういう場所でD.J.をやっていたジャマイカ人に会った事はあるんだけど、実際にそこに行った事は無いからなぁ・・・
マル:ジャマイカ人が、ジャマイカン・コミュニティに向けてかけたって事なんですね
ナベ:そうそうそう
マル:それをModsが聴きかじって、勉強したり?
ナベ:うんうん、たぶん。その当時DJやっていた人はデューク・ビンという人で、すごいお爺さんなんだけど、むこうでGazに紹介してもらって。『Intensified』の選曲にも名前が出ているような人だよ。(だからそういう曲がかかっていたのでは?)
マル:スピーカーみたいな、サウンドシステムのジャケットのやつですよね?
ナベ:うん、そうそうそうそうそう
マル:あのアルバム大好きです。泥臭い感じで。
ナベ:当時のロンドンの状況でいうと、これは本で読んだんだけど、何か自転車みたいなのでプレスしながら街に売りに来るみたいなのがあったらしいよ。
マル:それってロンドンですよね?
ナベ:うん、ロンドン、ロンドン。ロンドンのレコード屋っていっても、白人がやってるレコード屋では扱ってくれないから、手売りで売っていたみたい。
マル:そういうのをモッズが買ってた可能性も全然ある・・?
ナベ:うん、多分あるんだろうね
マル:それはどこのプレスなんですか?
ナベ:イギリス
マル:有名なレーベルもあったり???
ナベ:うん、IslandとかBlue Beatもあったり
マル:それを手売りで売ってたりしたんですね、それはすごい話ですね。